当支部について

法政大学校友会とは

支部の旗法政大学の前身である東京法学社が明治13年(1880年)に設立され、その7年後の明治20年(1887年)に少数の卒業生により「法政大学校友会」が発足いたしました。戦前、戦後と永い間大学と共に歩み続けてまいりましたが、平成5年(1993年)会則を改定し、個人年会費の徴収と地域、職場、団体、クラブ等の卒業生による新組織を立ち上げ、新「法政大学校友会」が発足いたしました。また、会費の増収と会員の確保を図るため平成14年(2002年10月)「法政大学校友会連合会」と改称し、各学部同窓会と合体し、卒業生組織の一本化を図り、全卒業生(約40数万人)をもって組織する唯一の団体となりました。

平成26年(2014年)から毎年の卒業生は3万円の校友会終身年会費を徴収され、卒業生全員が校友会正会員になります。同時に、既往の卒業生の会費も3万円の終身会費一本になりました。それを受け、平成26年(2014年)3月31日をもって「校友会連合会」を解散し、より大きく、より開かれ、より誇りを持てる新しい卒業生組織として平成26年(2014年)4月1日から「一般社団法人法政大学校友会」が新たに発足し、1県1支部体制のもと今まで以上に卒業生と大学の連携強化目的に活動しつつあり現在に至っております。

松戸支部について

支部の発足

千葉県松戸市は寅さんで有名な東京・柴又の東隣、江戸川の対岸にあり、古くから水戸街道の宿駅として栄えてきましたが、地域の大部分を占める台地は徳川幕府の放牧場や陣揃えの場でありました。

戦前、戦中期は陸海軍の飛行場や演習場が置かれ、そのため人口は少なく二十世紀梨発祥の地として知られるほどに長閑な土地でありました。しかし昭和30年代から日本の経済成長とともに急速に宅地開発や工場誘致が進み、人口も急増し、今や人口48万余を数える千葉県第三位の都市として発展しています。また、矢切の渡しや伊藤佐千夫作「野菊の墓」の舞台として、さらに最後の将軍徳川慶喜の異母弟にあたる最後の水戸藩主徳川昭武の居宅・戸定邸などがあることから、最近は観光地としても見直されています。

松戸支部はこうした環境の中で地元出身の大先輩 秋元常夫氏(昭和8年卒)の提言により昭和40年(1965年)に発足しました。以来、50余年の長きにわたる活動を続けており、現在支部会員300名(内正会員43名 平成28年1月31日現在)を超え今後の一層の発展を目指しております。

支部の沿革

昭和40年(1965年)9月 設立、初代支部長に秋元常夫就任(平成9年8月逝去)
昭和53年(1978年)5月 大学設立100周年に際して感謝状を受ける
平成2年(1990年)3月 2代目支部長・岩儀福裕就任(平成19年7月逝去)
平成4年(1992年)2月 大学のタクラマカン砂漠学術調査に協力拠金し礼状を受ける
平成19年(2007年)1月 「オール法政新年を祝う会」(帝国ホテル)の席上、日ごろの活発かつ積極的な支部活動に対して表彰を受ける
平成20年(2008年)2月 三代目支部長・廣野貴之就任
平成26年(2014年)4月 法政大学校友連合会の一般財団法人化に伴い名称を一般社団法人「法政大学校友会千葉県校友会松戸支部」と改称
平成27年(2015年)2月 松戸支部設立50周年記念総会開催
平成27年(2015年)12月 支部正会員40名を超えたことを記念し、校友会本部より校旗の寄贈を受ける
平成27年(2015年)12月 岩橋成行松戸支部副支部長が法政大学校友会代表議員に選出される
平成28年(2016年)3月 四代目支部長・岩橋成行就任

役員紹介

支部長 岩橋 成行 (社・応) 昭和42年卒
副支部長 松山 幹彦 (法・法) 昭和41年卒
佐藤 博俊 (社・応) 昭和50年卒
幹事長 折原 純二 (法・法) 昭和52年卒
副幹事長 尾関 勤 (工・営) 昭和43年卒
幹事 山内 昭二 (法・法) 昭和39年卒
梅田 光男 (法・法) 昭和50年卒
監査 堀切 泰雄 (工・営) 昭和49年卒
相談役 廣野 貴之 (経・経) 昭和36年卒